短編小説:流行

「SNSをやってないの結城くんぐらいだよ」奈美はそう言って僕の目を見て微笑んだ。

「20代前半まではしてたよ」

「へ~、ツイッター?」

「うん、ツイッターとインスタ」あの頃を思い返すと恥ずかしくなる。

僕は社会に出ると仕事をしている自分に自惚れていた。現実の世界でそうだったのかは分からないが、SNSの世界では確実に自惚れていた。

自分の仕事に奮闘する姿をツイートしては、何か得体の知れない満足感に浸っていたのだ。

「なんで昔はしてたのよ」そう言って奈美は大きな目を丸くした。

「周りに流されてたんじゃないかな」学生の頃、僕はずっと周りの人間に流され続けてきた。友達がツイッターをすれば僕も当然のようにするし、みんなが専門学校に進学するなら僕も当然そうする。

学生の頃の僕には自分の意思というものがなかった。常にキョロキョロしては群れを探し、その群れに飛び込めば後は楽だということを本能的に知っていた。

僕は馬鹿だったのだ。とてつもなく。

「結城くんでも周りに流されてた時期があったんだね」

「あったよ。周りに流されることが悪いことではないけど、良いことでもないと思う」

「流されている人見ると心の中で馬鹿にしてるでしょ」

「別に・・」そう言って僕はコーヒーを飲んだ。

馬鹿にしているだろうか。ただ、昔の流されていた自分に対するコンプレックスのようなものは存在していた。恥というのか。同窓会などで過去を掘り返されると僕の顔は赤くなるだろう。

そのおかげで現在は流行のものには飛びつかなくなっていた。しかし、流行のものは流行るだけあって面白いし、観ていて興奮する。レタスのサラダにトマトを盛るだけで彩りが豊かになるように、殺伐とした心の中が豊かになる。

流行のものは面白いのだ。なので自分のタイミングで飛びつかせてもらう。それが2ヶ月後になるのか、2年後になるのかは分からない。最悪の場合は見逃すだろう。

周りに流されるのはとても自然なことだ。それは過去の僕が証明してくれている。自然。風が吹けば花が揺れる。眠くなったら眠る。皮をつねると痛みを感じる。全て自然だ。その自然に逆らうのは極めて危険なことだと僕は思う。

人間には知覚が備わっているから特別視しがちだが、あくまでも動物だ。動物には周りに流されて生きていくという本能があるのではないか。その本能に逆らうのは不自然だ。

不自然は病気の原因になることは確かだろう。スマホが世に出てきて、現代病という言葉が現れたのがいい例だ。

とにかく周りに流されることを全否定するのは良くない。ただ、人間に生まれたからには何も考えずに周りに流されるのも良くない。人間に生まれたからには見極めようじゃないか。

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