「ねぇ、裕太くん。なにかおもしろい話してよ」僕の胸に奈々未が鼻先を当てて言った。
「おもしろい話か・・・・。知的な話?それとも僕の体験談がいいかい?」
「なんでもいいよ。雰囲気を壊さないのがいいな」
「相変わらず難しいことを言うね」
雰囲気を壊さない話とはなんだろう。つい先程まで奈々未とゆったりとした愛のあるセックスを楽しんでいた。これほど時間を贅沢に使えるのは明日が土曜日だからだ。
僕は回らない頭をめいいっぱい捻って、雰囲気を壊さないおもしろい話を考えた。初めてコンビニでアメリカンドッグを買った話はどうだろうか。あの時はケチャップとマスタードが入っている容器の使い方が分からず、頭がこんがらがって顔面に発射した。目が痛かったのを覚えている。おそらくマスタードだろう。
おもしろすぎて雰囲気を壊す可能性がある。却下だ。
こんな話はどうだ。社会人になって間もない頃、僕は社員寮の3階に住んでいた。男子寮はガサつな人間が多くほとんどの者は鍵をかけていなかった。僕はエレベーターに乗り込み仕事で疲れ切っていたのか、なぜか2階で降りてしまった。僕は何も気づかず僕の真下にある部屋に入ってしまった。
驚いた。部屋の中には同期の岡崎がおり、部屋のインテリアも随分と変わっていたからだ。僕は興奮状態のまま危うく警察に通報しかけたのを覚えている。
これもおもしろすぎるだろうか。雰囲気を壊さない話というのは絶妙な力加減が必要なんだ。おもしろすぎても壊れるし、おもしろくなくても壊れる。カフェの話でもしておこうか。無難だが雰囲気はおそらく壊れない。
「最近高田馬場駅の近くでおしゃれなカフェが出来たんだ」
「なんかよく聞くセリフだね。ドラマとかでありそう」奈々未はおもしろくなそうに言った。「もっと裕太くんらしい話をしてよ」
「僕らしい話ってなんだよ」やはりケチャップとマスタードだろうか。
「う~ん。なんだろう・・・。裕太くんは子犬系男子だからな~」
「やめてくれよ。ああいう男は嫌いなんだ」奈々未は僕のことを子犬系とばかり言ってくる。どうやら奈々未はそういう男が好きみたいだが、僕はなよなよしていて嫌いだった。
僕は一人前の大工のような男に憧れていた。身体や手がゴツく、顎髭を生やしているような野蛮な男だ。大工にはなりたくないがそんな男に憧れを抱いていた。もちろん奈々未もそのことを知っている。
「あぁ、そうだった。ごめんごめん。でも裕太くんに野蛮な男は向いてないと思うよ」
なんとなく自分でも分かっていた。まず僕の職業が市役所の職員だった。大工とは日本とブラジルぐらいの差がある。それでも諦めの悪い僕は筋トレに励むも長続きせず、散歩やランニングをする程度だった。
そしてなにより体質的にお酒が飲めなかった。野蛮といったらお酒だろう。海賊のように口の端から酒をドバドバこぼして手の甲で拭うのに憧れていたのに。奈々未の言うとおり野蛮な男には向いてないのだろうか。
「そうなのかな~」
「芸人の狩野英孝っているじゃん」奈々未が言った。
「うん」
「あの人、バラエティのMCがしたいんだって」嫌な予感がした。話の筋を身体が敏感に察知した。
「そしたら有吉が『お前には無理だ。もういじられキャラの路線で進んでいるんだから。もっと自分を理解しろ』って言ってたの」
よし、僕の予想通りだ。自分を客観的に見て自分の向いている戦場で戦えということだろう。なんて虚しいんだ。狩野英孝はその時なにを思ったのだろう。僕と同じ気持ちだったのだろうか。
「向いてる、向いてないに関わらず憧れているのなら目指したっていいじゃないか」
「まぁね。目指すのはその人の勝手だよ。でも向いていないなら良い結果は出ないよ」奈々未は淡々と言った。ここでいう悪い結果とは奈々未が離れていくことだろうか。僕はそこが気になった。女性という生き物は非常に現実的なのだ。夢と現実をしっかり区別できるのが女性なのだ。この能力さえ持っていれば社会で生きていくことが出来るとさえ思う。
「そうだろうね」女性には負けるが僕もかなりの現実主義ではあった。向いていない場所で頑張っても良い結果が出ないことくらい遠の昔に知っている。その現実的な思考を持ちながら今でも中途半端に野蛮な男を目指しているんだ。現実主義で中途半端な人間は目も当てられない。男性に多いのではないだろうか。区別、割り切り、諦め。これらがどうしても僕には出来なかった。
僕はなんだか悲しくなり、布団に潜り込み奈々未の乳房に顔を押し当てた。
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