なんの取り柄もない僕は、そのことに対してコンプレックスを抱いていた。運動神経は良くないし、見た目もそこまでは悪くないけど、良いとは絶対に言えない。このまま人生を終えていいのだろうかと、自問自答を繰り返す日々を送っていた。
答えはいつも『終えたくない』だった。しかし具体的な行動に落とし込むことが出来ず悶々とした日々を送っていた。悩むだけでは何も変わらないことぐらい分かっていたので、とりあえず読書に力を入れてみた。
当初はメンタリストDAIGOさんがおすすめする本を選んで読んでみたが、全く面白くなかった。外国人が書いた本はどうも読みづらく、集中しないと何を言っているのか分からない。
僕は自己啓発本を中心に読んだ。巷では読んで意味あるのか論争が繰り広げられているが、僕は意味があると思う。知識が現在に役に立っているとは言えないが、読んでいなかったら『文章を書く』という行動には繋がってないだろう。そう考えると意味があったのではないかと思う。
明治時代の話になるが、商人がたくさんいる大阪では本を読むことは許されなかったらしい。理由は、読書をするとその知識に影響され、商売をせずに短歌などの芸術に走るからだ。その理屈は分からなくもない。芸術など1円も稼げないし、読書する時間があるのなら家族や仕事に使うべきだろう。
現代でも本で得た知識をビジネスに応用できている人は少ないと思う。本を読む暇があるのなら副業が許される時代なのだし、金稼ぎを実践の場で経験した方が良いと思う。
本は娯楽なのだろうか。しかし不思議なことで、全く本を読まない人を目の前にすると、その洞察力のなさに嫌気が差す。
自己啓発本を全く読まなくなった僕が言うのもなんだが、本は読んだ方がいい。物事に意味を求めてはいけない。それは危険だと思う。意味があるかないかは読んだ後の話だ。読む前の話ではない。
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