秋元はYouTubeを観ながらただぼんやり、ただただぼんやりと、何者かになりたいと思った。そう思い立っては絵を描き、文章を書いた。それを1ヶ月ほど続けた後、いつも同じ理由で諦めた。
その諦める理由とは、漠然とした将来への不安だった。小説が好きで文章を書いているのはいいものの、お金を稼げないでいるのは精神的に苦しかった。もっとまともな職に就いたほうがいいのではないか。若い今だったらまだ取り返しがつくような気がした。
夢を追いかけるのは何歳からでもいいが、夢を諦めるのは早い方がいい。というのが秋元の考えだった。
秋元はパソコンの前で、学生の頃の自分を思い返していた。あの頃は何も考えずひたすらベースを練習していた。空いた時間に英単語を覚えるようなことはせず、チューニングをさっと終わらして、4本の弦を鳴らした。
あの頃は何を考えていたのだろう。おそらく音楽と女のことしか考えていなかった。将来のことなどまるで考えていなかった。自分がどこで働いているかなど想像もできなかった。
秋元は思う。あの頃は将来のことを考えていなかったから、その瞬間を楽しめたんだ。雑念が混じってない澄んだ意識を、ベースに投下することができたんだ。
今は違う。まるで将来という飼い主に首輪をかけられた奴隷だ。草原を気持ちよく走りたいのに、鎖に引っ張られて前に進むことができない。せいぜい半径5メートルといったところだろうか。
みんなこの首輪をつけているのだろうか。
楽観的な人は強いと、どこかのYouTuberが言っていた。そりゃそうだろう。将来のことなど考えずに、現在に集中しているのだから。
楽観的な人は将来のことを考えてないと言ったが、全く考えてないことはないだろう。おそらく適当にあしらっているのだ。
悲観的な人は鎖がピンと張っているのにも関わらず、前に進もうとして疲労しているように見える。半径5メートル以上に足を出そうとするのだ。道端で見ないか。前に進もう進もうとしている柴犬を。あれだ。楽観的な人はそんなバカなことはしない。
楽観的な人は、半径5メートルを広く使う工夫をしているように見える。後ろに行ったり、横に行ったりと。直径10メートルあることを認識している。楽観的な人はバカではない。だからといって、一日中ぐうたらしているような楽観的バカにはなってはいけないことを頭の片隅、、、ではなく、念頭に置いておきたい。
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