「ねぇ、ヒロキ、資産運用とかやってみない?」アンナがなんの前触れもなくそう言った。
「資産運用?NISAか?」僕はナポリタンを食べている手を止めて訊いた。
「うん。投資って最近流行ってるじゃん。テレビとかでも投資投資ってさ」
「投資か・・・」
アンナとの出会いは大学時代の友人が開いてくれた合コンだった。そのとき女性は3人いたのだが、無邪気な笑顔と人懐っこい性格のアンナに惹かれ、男3人はメロメロだった。そんな彼女を僕みたいなさえない男がゲット出来たのは奇跡に近い。
「勉強不足で何も知らないんだけど、リスクとかはないのかい?」投資と聞くとすぐに大損を思い浮かべるのが僕だった。
「私もそこまでは詳しくないけど、NISAくらいならそこまでリスクはないそうよ」
アンナは明るい性格と美しい外見を持っているということもあり、人から断られる経験が少なかった。なので自然と新しい物事に対しても積極的だった。
隣の畑は青く見える、というがアンナほど人生の苦難と縁のない人は見たことがない。それくらい誰からも愛されていた。
以前実家につれて帰ったとき、僕の両親は美容院を経営しているのだが、父親がアンナの愛想の良さに歓喜し、なかば強引に席に座らせ無料でトリートメントのようなものをしていた。
父親の腕前は確かなようでアンナの髪の毛はサラサラでしっとりしていた。
まだある。アンナは歯医者で受付や助手として働いているのだが、アンナ目当てで訪れる客が後を絶たないらしい。
そのおかげで歯医者はかなり儲かっているらしく、アンナの給料は僕よりもだいぶ高い。
そんな幸運の女神とも言うべきアンナに勧められたのなら乗らない手はない。僕はリスクを引き受けた。
「やろうかな・・。リスクがゼロなんてありえないだろうしね」
「やった!1人はなんだか心細いのよ。私は毎月3万投資するけどヒロキは?」
「話しが早いな・・。じゃあ・・、僕も3万にするよ」こうして僕たちは初めての資産運用を開始した。
資産運用を始めて3ヶ月が経った。サイトを覗いてみると僕の資産は9万5千円になっていた。
「利益が5千円になってる!」思わず声が大きくなった。
「ほんとぉ?」キッチンにいるアンナも声が大きくなっていた。
「ほんとだよ。9万円で利益が5千円もつくなんてNISAを舐めてたな」
「来月には8千円ぐらいになるのかしら」
「どうだろう・・。アメリカの企業には頑張ってもらわないとね」
うふふ、アンナは微笑を浮かべてコーヒーをすすった。
「こんな事ならもっと早くから投資をしておけばよかったわ・・・」そう言ってアンナは頬杖をついた。
「まだ28歳なんだから早い方だよ」
「そうかもしれないけど・・・。4年ほど前からNISAという言葉は知っていたのよ。その時からしておくんだったな~って」
人の思考はどこまでも自由だからたちが悪いと思った。
「過去を振り返っても意味ないさ」
「そうよね。これからに活かすべきだわ」そうして僕とアンナはリビングの電気を消して寝室に向かった。
ある日、アンナのスマホの画面がふと目に入って驚いた。その画面には複雑な折れ線グラフや細かい数字が並んでいたからだ。
「投資をしてるのかい?」
「そうよ」アンナは画面から目を離さず言った。
「それNISAじゃないよね」
「もう!ヒロキはリスクを恐れ過ぎなのよ」アンナはストレスが溜まっていたようだ。自然と言い合いになった。
「当然だろ!大損したらどうするんだ!」
「ドラマの見すぎなのよ。アメリカ人のほとんどが貯金を投資に回すのよ」
「僕たちは日本人だ!とにかく損はしないように気おつけてくれよ」
「わかってるわよ」
その日をきっかけにアンナの節約生活が始まった。余ったお金を投資に回すためだ。僕とアンナは同棲していたため、その節約生活に付き合わざるおえなかった。
「今夜も鶏むね肉かい?」
「えぇ、そうよ。節約にもなるけど健康にもいいのよ」そう言ってアンナは胸肉をポン酢につけて食べた。
「健康的なのはありがたいけどたまには脂っこい食事をしたいな」胸肉のおかげで僕のお腹周りはかなりスリムになっていた。
「じゃあ、明日は違うものを考えておくわ」
僕たちは同棲を始める時にルールを決めていた。家賃は僕担当で、食費はアンナが担当することになっていた。なので投資に力を入れているアンナの作る料理は節約レシピばかりだった。
「投資の方は大丈夫かい?」
「問題ないよ。リスクの高いものには手を出してないし」
「ならいいけど。無理のないようにね」
「あ、そうだ。今度ヒロキのお父さんに散髪してもらおうと思ってるんだけど・・・」
「あぁ、いいよ。連絡しておくよ」
「思い切ってショートにしようと思ってね」アンナは胸あたりまである髪の毛を触りながら言った。
「ショートか、きっと似合うよ。来週の日曜日でいいかな?」
「うん、お願い」アンナは優しい笑顔を浮かべて言った。
その夜、親父にそのことを伝えると「まかせろ」と言って喜んでいた。あの様子だとまたサービスしてやるんだろうな。アンナも節約のために親父を選んだのだろうけどそこには触れないことにした。
僕の思った通り、親父は無料で髪を切りトリートメントをしていた。ショートになったアンナはとても良く似合っていた。大学1年生といわれても不思議でない。
親父は「またいつでもおいで」と言ってくれたのだが、アンナがここに来たのはこれが最後だった。
髪を切ってから1ヶ月後、僕はアンナの浮気を疑った。アンナの生活リズムが微妙に変わったからだ。
仕事の帰りが遅くなったり、休日に「学生時代の子とお茶してくる」と言って出かけていくことが増えた。
アンナに直接話すことも出来ず、僕はスマホを覗くことにした。運が良いのか悪いのか分からないが、アンナのスマホのパスワードを僕は知っていた。
アンナがお風呂に入っている間に、アンナのスマホを手に取りパスワードを入力した。心臓が飛び出そうなほどの早鐘を打った。LINEを開く前に軽く深呼吸をした。
LINEを開くと案の定知らない名前があった。それも3人。上から『ハルキ・トシ・タカアキ』とある。
職場の人だろうかと一瞬思い、なんのためらいもなくハルキとのトークを開いた。トークの内容を見る限りハルキはどうやら料理人らしい。
『今度またパスタ作るよ』とハルキが送っている。
それに対してアンナも『ありがとう、今度はアクアパッツァ食べたい!』と送っていた。アンナはハルキにおしゃれな料理を作ってもらっているようだった。
完璧に黒だ。と、僕は思った。
上から2番目のトシはアパレル経営者のようだった。トシが赤いスカートの写真を送り『このスカートいる?似合うと思うけど・・』と送っている。
それに対してアンナは『めっちゃ可愛い!次会うときに持ってきて!』と送っていた。トシは既婚者なのだろう。ホテルでしか会ってないようだった。これも黒だ。
3番目のタカアキは美容室の経営者のようだった。『今度お店に来てよ。サービスするから』とタカアキが送っている。どうやら無料でカットやカラーをして貰えるようだ。
ガチャッ。
どうやらアンナがお風呂から上がったようだ。僕は急いでアンナのスマホを元あった所に戻した。
どの男性もアンナにサービスを提供しているようだった。それも無料で。アンナの醸し出す雰囲気が男の本能をくすぐり、ついついサービスをしてしまうのは分かる。僕もかつてはそうだった。
しかしこれらの男性は自らアンナに近付いたのではなく、アンナ自らが計算して集めたようにしか思えなかった。
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