【短編小説】孤独と向き合う

「裕太くんちょっと雰囲気変わったよね」七瀬がお刺し身を口に運びながら言った。どうやらワサビはつけないらしい。

それにつられて僕もお刺し身に手を伸ばした。「そう?本を読むようになったからかな」

僕と七瀬は高校時代に1年ほど付き合っていた。僕は関西の調理専門学校に進み、七瀬は東北の大学に進学した。そして、それから10年が経っていた。

なんとなく七瀬が今どうしているのか気になり食事に誘ったのだ。2人とも東京で働いていたので都合のいい日はすぐに見つかった。

「本読んでも変わらないでしょ」

「うーん、どうだろう・・。単純に老けたのかな」そう言うと、七瀬は僕の顔をじっと見てきた。「なんだよ」と僕が言うと、七瀬はニコリと笑い、顔をそらした。

「裕太くんがくれたドリームキャッチャーまだ持ってるよ」付き合っていた時、僕がドリームキャッチャーという幸せのお守りをプレゼントしたのだ。高校生にしてはロマンチストである。

「不幸は訪れてないかい?」

「う~ん、どうかな~」七瀬は首をかしげた。不幸があったと言えばあったような顔をしている。「けど、ドリームキャッチャーの効果は効いてると思う」

「幸せが訪れたと解釈していいのかな」僕が質問すると、七瀬は曖昧な表情で「うん」と答えた。追求したい気持ちはあったが、それ以上は訊かないことにした。

高校を卒業したときは人との出会いや別れに鈍感だったのだが、本を熱心に読み始めたからだろうか、あるいは年を重ねたからだろうか、出会いの有り難みや、別れの切なさに敏感になっていた。

そう思い始めた頃、ふとした時、七瀬の笑った顔が頭に浮かんでいた。あの頃は気づかなかったけど、もう会えないんだ。泣いている子たちを腹の中で小馬鹿にしていたけど、バカなのは僕だったのかもしれない。僕は平気なフリをしていたのだろうか。いや、違う。生きている限りどこかしらでまた会えると思っていた。しかし社会に出ると、この考え方がとても甘いということに気付かされた。

社会に出たら付き合いはもっぱら会社の人間になっていた。気楽に食事に誘えるこし、、いちいち日程を合わせる必要がないからだ。しかし普段顔を合わせない人間となると、どちらかがアプローチしない限り、疎遠になってしまうのはとても自然なことだった。

「高校を卒業したときは、全く悲しくなかったんだ」独り言のように僕が言った。

「裕太くん鈍感そうだもんね」

「ふん」やはりそう思われていたのか。「でも、最近はけっこう敏感なんだよ」

「そうなの。だから誘ってくれたんだね」七瀬は目を細くして微笑んだ。相変わらず笑顔がよく似合うと思った。店員がだし巻き玉子を運んできたので、七瀬の笑顔と会話が途切れた。

「七瀬はそういうところ敏感だったろ」

「う~ん、どうだろ・・・」七瀬は首をかしげて焼酎のお湯割りを飲んだ。「けど、写真を熱心に撮ってたの覚えてる。思い出だからね~」

「僕とも撮ったね」

卒業式のときは七瀬と別れて3ヶ月も経っていなかったので、気まずさを抱えながらピースしたのを覚えている。僕はその時、七瀬と会うのはこれが最後ということに気付いていたのだろうか。なにも感じていなかった訳ではないと思うが、今ほど感傷的にはなっていなかった。

もしかしたら僕は、先が見えないほどの孤独に苦しんでいるのかもしれない。今までは孤独じゃなかったのだろうか。高校の頃は物理的には、前を見ても後ろを見ても人で溢れかえっていた。人付き合いもそこそこあった。

しかし、社会に出て年を重ねる内に1人、また1人と疎遠になっていった。しょうがないことなのだ。職場では重役を任せられ、友達と思い出話をしている暇などないかもしれない。それに加えて家庭を持つと、火に油を注ぐかのように疎遠が加速していく。

日々加速していく孤独に、僕の心が耐えられなくなったのかもしれない。敏感になったのではなく、孤独の重圧に耐えられなくり、心にほんの一筋のヒビが入り脳が異変を察知したのだ。

居酒屋から出て新宿駅まで七瀬を送った。外は酔いが覚めるほどひんやりとしていた。手をつなぎ、あの頃のようにキスをしたかったけど、臆病者の僕は平気なフリをした。

駅の改札口に着き、僕が「それじゃあ」と言って手を上げると、七瀬も「またね」と言って手を振った。改札が僕たち2人を分断した。ずっと後ろ姿を見ていたかったけど、僕は見ないことにした。それでも勇気を出して振り返ると、七瀬は人混みに消えていた。

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