【短編小説】埋められない差があるんだ

「万引きしたことある?」僕が隣に座っている根本に訊いた。

根本はビールを一口飲み「ないよ」と言った。「でも、万引きを疑われたことはある」

「根本くんって、なに考えてるか分かんないから怪しまれそう」そう言って前に座っている西田さんが笑った。その横にいる矢島さんも「わかる」と言って口を隠した。

ほろ酔いの2人が言うように、根本はいまいち何を考えているのかよく分からなかった。しかし、決して無口なタイプでもないし、人間関係をこじらせるようなタイプでもなかった。

ミステリアスな雰囲気を醸し出している訳ではないが、不意に根本に意識を向けると「あれ、いまなに考えてる?」と訊きたくなってしまう。そんな男だった。

「なにも考えてないよ」そう言って根本は続けた。「万引きを疑われた時は、その場で店員に鞄の中を見られたんだよ。もちろんポケットの中も」

「なんだか失礼な店員さんね」矢島さんが言った。

「根本がフラフラしてるからだよ」そう言って僕が根本の方を見ると、根本は薄気味悪い笑みを浮かべていた。

「どうした?」と僕が訊くと、根本は新しい割り箸を取り出した。その割り箸を手の平の上に乗せた。根本の横顔を見ると、口角が微妙に上がっているのが分かる。

「この割り箸見ててよ」根本がそう言ってから、手をさっと裏返した。その瞬間、割り箸が音もせずに消えた。

僕は驚いて目を丸くした。こんなに驚いたのは、10年前に道端でばったり綾瀬はるかと出会った時以来だ。前に座っている女子2人も驚いた表情を浮かべていた。

平均より頭の回転が早い僕は、今しがた行われた驚愕マジックと、万引きを疑われた話が繋がった。「やっぱお前、万引きしたんだろ」声のボリュームが少し上がった。

「いや、やってないよ」根本は満足気な表情を浮かべて否定した。

「万引きした商品を今みたいに隠したとか」

「そんなことできないって」

僕は、本当は万引きをしたが、店員の目を先のマジックのように巧みに欺いたと直感的に思ってしまった。しかし根本に騙されたのは店員ではなく、恥ずかしいことに僕だったのだ。

「本間か?」

「本当だって、オレは正直者だから」根本は手を横に振りながら答えた。

女子2人は疑惑の目を根本に向けていた。それと同時に、根本に心を掴まれているのが手に取るように分かった。女性は男が指先を器用に動かしている姿に弱いことを僕は知っていた。

「じゃあ、なんで今マジックしたんだ?」僕がしつこく追求する。

「いや~、このタイミングでマジックしたら格好いいと思って・・」根本は頭を掻きながら言った。

たしかに格好いい。しかし口には出さなかった。根本にはこういったところがあるのだ。僕のような常識人では絶対に思いつかないであろう思考回路が。

根本は作家を目指して、毎日アルバイトをしながら執筆作業を進めているらしかった。その一方で僕は、消防士として何不自由なく平穏な生活を送っていた。なのになぜか、僕は根本に嫉妬していた。体格的にも僕の方が男らしく、年収でも明らかに僕の方が上だ。なのになぜか。

根本とは絶対に埋めることのできない差を感じていた。女子2人もその差を敏感に感じ取ったのか、根本に向ける顔が僕とは違っていた。

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