僕はその時、青いベンチに座り君が来るのを待っていた。
遠くにヘルメットを被って自転車を漕いでいる中学生の姿が見えた。ということは、もうすぐ君も自転車に乗ってここに来るのだろうか。僕は高鳴る胸を抑えるため「ふぅ」と息を吐いた。
5分ほど待っていると、眺めてるだけで元気が出そうな、明るい笑顔の君がヘルメットを律儀に被り、紺色の自転車を漕いでやってきた。可愛い子はなに着たって似合うというが、ヘルメットだって君が被ると、工事現場のおっさんより似合っていた。
「待った?」彼女が言った。
「う~ん、5分ぐらいかな」そう言いながら自転車小屋の方に向かった。
多くの男子高校生がそうであるように、僕は彼女とキスをすることばかり考えていた。しかし、まだファーストキスを終えてない僕にとってキスとは東大に合格するようなものだった。
目を瞑り唇を合わせるだけなのだが、はたして僕は目が見えない状態で、君の小さな唇に到着することができるだろうか。鼻にしてしまったら君は僕のことを嫌いになるだろうか。
味噌汁を飲むとき、人は無意識で自分の口元にお椀を持ってこれる。ペットボトルに入っているアクエリアスを飲むときだって、飲み口を自然な仕草で口に持ってこれる。間違って鼻の穴に持って来てしまう奴なんてこの世にはいない。
そう思った僕は念のため学校の自販機でペットボトルのアクエリアスを購入し、目を瞑って飲んでみることにした。飲み口を口元に運ぶことはできたものの、スムーズに運ぶことはできなかった。
目を瞑るだけで、普段無意識的に感じている距離感が断たれてしまうのだ。だったらギリギリまで目を開けて、唇同士が触れる瞬間に目を瞑るのはどうだろう。そう思った僕は早速ペットボトルで試してみたところ、難なく成功した。
テスト前で追い込まなきゃいけないこの時期に、僕は目を瞑ってキスをすることばかり考えていた。
僕は数学が得意だった。理由は単純で、公式や解き方さえ覚えてしまえば、テストで高得点が狙える教科だったからだ。しかし、恋愛やキスに公式というものはなかった。首を何時の方向にどれだけ曲げればキスができる、という公式さえあれば、僕はこんなにも悩まなかっただろう。
もしかしたら、恋愛に向いていないのかもしれない。
「明日から体育祭の練習が始まるの」彼女が言った。
「君は運動神経がいいから活躍できるんじゃないか」
「そんなことないよ。でも結城君より足は速いかも」そう言って彼女は笑った。なんて小さくて可愛げのあるお口なんだ。いつもそのお口でなにを食べているんだい。君に食べられた緑黄色野菜もきっと喜んでるはずだ。
君を目の前にしてキスのイメージをすると胸がギュッと苦しくなった。それに呼応するかのように僕のペニスが大きくなった。「へへっ」と笑いながらとりあえず地べたに座った。それを見て彼女も座った。
想像しただけで勃起したのもまずいが、それ以上に、君が目の前にいるというだけでキスのハードルが格段に上がったように感じる。なにが東大だ。東大なんかじゃない。それはスタンフォード大学だ。結局、僕は舐めていたんだ。ペットボトルと唇は似て非なるものだったんだ。
その日、僕はファーストキスをした。僕の上唇に君の歯が軽く触れたので、恐らく成功したのだろう。
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